[ 純情リリィ ] 崩れだした塊は根っ子がもう腐ったあとらしい、遅すぎてもう少し早く気付いてりゃこんなことにはならなかったんじゃないかと後悔、してみたりする。 だってほんと、ありえねえって。 花街は愉しかったですかーい、目の前で瘤つくってぶっ倒れてる男に揶揄を降り掛けて俺は、右手に持ったままの木槌を肩に当ててとんとんと叩いた。 もう一発くらい、許されるだろうか。 (自業自得だっつーの) 俺は藁の土方さんに釘打ち込んでただけ、酒と女の匂い纏わせた奴と裏口で鉢合わせしたところで、肩を掴まれなきゃならない理由なんてこれっぽちもないのに土方さんが、何考えてんだかそれだけじゃなくて俺の顎まで掬おうとしてきたから。だからつい一発。 ゴチン、と。 正当防衛条件反射、俺はなにも悪くない。 しゃがみ込んで憎たらしく整った顔容突っついて、高い体温に呆れが募る。酒弱ェくせしてこんなに飲んで、見境もなしに男の、俺の口にまで手ェだそうとするなんてアンタ、そんなに早く死にてェの? 「おっ」 襟首に図々しく咲く、紅に縁取られた朱唇の痕。商売用のきっついこんな色さえも土方さんの一部になって溶けていた。 散々いいおもいしてきたくせにまだ足りてなかったのどうしてさっき、弱い眼して俺を見たの。 (むかつく) むかつくむかつく。ぴりぴりと冷たい血潮が頭のてっぺん這い上がってきて一瞬、吐き気に殺されかけた。 消えて。 懐から手拭い取り出してからじっと対峙して、すこし血ィ付いてっけどきっと、こんくらい汚れてた方がちょうどいい。うざったい黒髪を退け、自己主張の強いそれにそっと重ねてこしこしと擦る。何度目か小さく動かしてから手拭いを剥いで、目の前が赤くなる。 ねえなんで消えないの。 擦り続けて指の先がどんどん冷えて悴んでそれでもやめられない。 うっ、土方さんが呻いて俺は悪戯がばれた餓鬼みたいにびくついて、その伏せられた真っ黒な、俺を映すことなんてない双眸が震えたのを見た。 雨って奴は、降ってほしいときに限っていじわるをする。ほんとうに流してしまいたいものは手前で始末しろってこと? もうすぐ冬を迎え入れようとしてる夜空は底なしの闇に光を湛えて降りそそいで、灰雲は綿飴ほどにも存在しない。それなのにどうして俺は、得体の知れない靄に侵されてまるで病気みたいだ。 血と色情の付いた布切れに自分の唾を染み込ませてもう一度、土方さんに滲んでる紅にあてがって湿らせる。ゆっくり指で円書いてなぞる、怖々捲ったら今度こそ、ほんとうになくなっていた。 心臓がばくばくしてまるで、人を斬った後のような遣る瀬無さだけが躰の真ん中に落っこちてきて俺は、この奇怪な喪失感をどうすればいいのか識らない。 「気ィ済んだか?」 「!」 一気に躰中の血の管が波打って押し寄せて引き戻される、ほんと最低だよ黙って他人の行動観察するなんて酔っ払いのくせに。 ふっと月明かりが翳って真っ暗になったと思ったら土方さんが起きて俺の前に立っていて、俺は呆けてる間に手首掴れてたから自然、一緒に躰起こすかたちになって土方さんと向かい合う。 「俺ァ謝りやせんぜ」 「・・・・・悪かったよ」 「当然でさァ」 「でも女と間違えたわけじゃねェ」 なに、云ってんのこの人。 艶っぽい、幾つもの女を識っている唇に下の名前紡がれて俺は、土方さんの肩を咄嗟に押してひとつ退いて、捕まっていた手首を逃がした。 互いの吐き出す真っ白い息だけが時間の止まっていない唯一の証明で、哀しいはずなんてなくて苦しいはずなんてなくて、だから、溜めておけないなみだは塵が入った所為。
06.11.11
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